飾り気がなくてもオチがなくてもそこが嬉しい!

身は度々鳥獣ものの声を見ている。主に犬が多いのですが、他の鳥獣も注目のわいたものは積極的に見ている。これだけ求めるように見て、何かの目的があるのかというと誠にありません。これ程鳥獣声が好きだったは我ながらちょっと驚いているくらいだ。
随時趣向を変えてお出かけや美食、運動などの声も見てみるのですが、いったんそれらをパーッといった大まかに見た上、食い入るようにまた鳥獣声を見ている。おかげで私の声観戦内容は9:1くらいの割合で圧倒的に鳥獣売り物となっており、非常に偏っているといった言わざるを得ません。
ひときわ私の好みは中位が撮影した垢抜けない声だ。鳥獣が垢抜けないという意味ではなくて(いえ、それもいくぶんありますが)、撮影した声合計に漂う、覇者が撮った売り物、つまり聴衆の適応にかけて撮ったものではない感じがあふれて掛かる鳥獣声が大好きなのです。
身は普通、作り上げられたステージよりも超普通の日常の中に本物の○○(たとえば気迫とか色気とか)があると思っているので、こうした狙って撮っていない声に激しく惹かれるのかもしれません。葉酸サプリ

これ程プレイがマニアだった自分が信じられない

前から天王山が歓迎だったわけでも無く、いつからなのか天王山にハマりだしてしまったのは!という日々だ。そう思っても閉められず、ちょっとを見つけては天王山をするという残念な感じですね。ちょっとやめてみたりもするんですが、これって病みつき性ありですね。我慢することはできるし、やらなくても好ましいっていえば適切んでしょうが、また何となく違う天王山にハマりだしてみたり、もっとやってなかった天王山を再始動してみたりしてしまいます。これでは万が一ちっちゃな息子が天王山をやりすぎていても注意する威光はないなと、思いました。いつから、そんな大人になってしまったのか自分でもわからなくなっている。けれど、天王山が明るいなって思うようになったのは、自分が変わった瞬間のように思えます。いっとき、好きなだけやってみて、我にかえった此度、またものすごくなれる拍子かもしれないですよね。自分で、何かのトリガーが欲しいのかもしれないから。ほんとに今でも思いっ切り天王山好きな自分が信じられないだ。